たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

October 2015

2015/10/30
藝大フィルハーモニア 第371回定期演奏会
@東京藝術大学奏楽堂

~プレコンサート~
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
演奏:藝大フィルハーモニア チェロアンサンブル
(寺井創、豊田庄吾、夏秋裕一、羽川真介、松本卓以、山澤慧)

バルトーク:バレエ音楽「中国の不思議な役人」組曲
バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

管弦楽:藝大フィルハーモニア
コンサートマスター:野口千代光
指揮:高関健

相当久しぶりに藝大奏楽堂での演奏会を聴く。上野といえば東京文化会館、上野学園石橋メモリアルホール、そしてこの奏楽堂だが、しょっちゅう訪れるのは文化会館だけだ。
プロオーケストラの定期演奏会で「役人」「弦チェレ」「オケコン」というバルトークの代表的三品が一挙に乗ることは、実はありそうでない。バルトーク音楽を心から愛する自分としては、この演奏会を見逃すわけには行かなかった。
ちなみに、藝大フィルを聴くのは実は初めて。

自由席につき奏楽堂の1階中央よりやや後方の座席を取り、まずプレコンサートを聴く。本プロに加えこちらもバルトーク、藝大フィルのチェロセクションはしなやかな音色で土っぽいサウンドを聴かせてくれた。
本プロの「役人」、オーケストラは14型。(以後全曲同じ編成だった)ステージを見てまず「おや」と思ったのは、管楽器と打楽器に雛壇がないこと。つまり全ての楽器が平舞台での演奏となった。これは正直音響的な効果としてはかなりマイナスで、奏楽堂の比較的多めの残響と相まって細部の混濁が聴かれた。とくに「役人」はただでさえオーケストレーションが込み入った曲だから、弦楽器の猥雑な動きに乗っかってくる木管群の信号動機、そして威圧的に奏する金管群がごちゃ混ぜになってしまった。演奏自体は水準高く、高関さんらしい手堅く安定した指揮(かなりゆったりしたテンポだった)に藝大フィルがしっかりと応え、少女を誘惑する3人の登場人物を描き分けるソロ・クラリネット、終盤近くの卑猥なソロ・トロンボーンも素晴らしかった。
ここで休憩に入る。3作品とも重いからなのか、休憩は一曲ごとに取られた。(聴衆としてもその方がありがたかったが) 

続いての「弦チェレ」、オーケストラは弦5部が左右に分かれて対峙する形を取り、指揮台の向かって下手側にチェレスタ、上手側にハープが置かれる。ピアノはチェレスタの隣で、チェレスタを弾いたH塚君は曲中連弾になる箇所ではピアノと自分の楽器を往来していた。 
昨年末に聴いた大野和士/都響の同曲は情念系とでも言おうか、分厚いサウンドをベースに大野さんが自在なアゴーギクで揺さぶって魅力的に仕上げていた。高関さん/藝大フィルの演奏は対照的で、ほぼアゴーギクは使わず、徹頭徹尾楽曲を丁寧に紐解いていくもの。結果的に切っ先を突きつけられるような冷たい凄みは後退したが、これも曲のあり方の一つだろう。藝大フィルは所々アンサンブルに苦しそうな箇所が無いではなかったが、高関さんのこれ以上ない位丁寧な指揮(とくに第2楽章終結部!)に導かれて立派な演奏だった。ティンパニの思い切りの良い強打が印象的。

再び休憩を挟んでの「管弦楽のための協奏曲」。正直聴く側としては若干疲れてきたのだが、もっと負担が大きいはずの演奏者のことを考えてしっかりと聴く。オーケストラのコンディションはほぼ先ほどと同一に保たれ、休みがあった管楽器も抜け目ない演奏。音楽がぐるりと回転して大胆に転換していくような場面でも相変わらず高関さんは生真面目だが、がっしりとした構築により、ソロが明滅する管弦楽曲というよりは堂々たる一大交響曲のような仕上がりとなっていた。各楽章間の有機的な動機の繋がりもよく見える。

なかなか長いプロで、終演は21:30頃となった。なるほど、この3曲を一夜に演ろうとすると舞台転換、管楽器奏者への配慮、そして聴き手の集中力など色々な問題があるのかもしれない。充実したパフォーマンスだったが、それに加えて色々な発見があったのも収穫だった。 最後に、出来れば藝大フィルは文化会館で公演してほしい。

2015/10/29
パルティトゥーラ・プロジェクト
ベートーヴェン ピアノ協奏曲全曲演奏会 【第2回】
@すみだトリフォニーホール

ベートーヴェン:ロマンス第1番
ベートーヴェン:ロマンス第2番
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
~アンコール~
モーツァルト:4手のためのピアノ・ソナタより 第2楽章

ピアノ:マリア・ジョアン・ピレシュ、小林海都
指揮:ヴァイオリン:オーギュスタン・デュメイ
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:西江辰郎

第5番「皇帝」で締めくくるコンサートと言うと、先日のN響定期を思い出す。ブロムシュテット指揮で交響曲第2番を演奏し、後半にティル・フェルナーの独奏で「皇帝」。こういう構成だとソリストはアンコールをするわけにも行かず、なんとなく後味が微妙なお開きになってしまう。それと比して今日の構成は気持ちが良い。
ピレシュが弾く第4番が素晴らしいのは勿論だが、前菜というには相当に贅沢なデュメイのヴァイオリンが、初めに二曲演奏された。デュメイのヴァイオリンは相変わらず爽快に美音を振りまくが、昔の技巧バリバリのコンチェルトなどに比べて人間臭く、自然な円熟を重ねていることが分かる。 2曲のロマンスにおける表情の違いも味わい深い。(首都圏では、来年インバル/都響との共演によるモーツァルトの協奏曲第3番で彼のヴァイオリンを味わうことが出来る)

続くピレシュ独奏のベートーヴェン4番、前回の第3番に続き金太郎飴のような感想で恐縮なのだがかけがえのない瞬間。偏愛する第4番を彼女のピアノで聴けただけでまずジンとしてしまったが、もう第一音から別世界。ピアノの独奏から始まるこの名作が、これほど胸の奥深くまで染み渡って聴こえたことはかつてなかった。パルティトゥーラ・プロジェクトの中心であるピレシュが振りまく慈愛の念、それがホール全体に浸透して聴衆の心を打つのが手に取るように分かった。
ちなみに、使用ピアノが一日目のヤマハからスタインウェイに変わっていました。直前で色々試しての変更とのこと。

後半はエリーザベト王妃音楽院でピレシュに学ぶ小林海都さんが登場、シリーズを締めくくる「皇帝」を奏した。ピレシュの後を受けて協奏曲を弾くプレッシャー等、いらぬことを多々想像してしまったが、演奏は年相応以上の立派さ、一途で直情的な表情もこれはこれで良いと思える。先述したティル・フェルナーの軽やかなウィーン風とはまったく異なる、今の小林さんが投影された説得力ある演奏に満足した。

アンコールではやはりピレシュと連弾、モーツァルトの4手ソナタより第2楽章が演奏された。この意義あるプロジェクトの締めくくりとして、これ以上ない素敵な贈り物を授かった思いだった。

2015/10/27
パルティトゥーラ・プロジェクト
ベートーヴェン ピアノ協奏曲全曲演奏会 【第1回】
@すみだトリフォニーホール

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番(リベール)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番(グーアン)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(ピレシュ)
~アンコール~
ラフマニノフ:6手のための3つのピアノ作品より ロマンス

ピアノ:マリア・ジョアン・ピレシュ、ジュリアン・リベール、ナタナエル・グーアン
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:西江辰郎
指揮:オーギュスタン・デュメイ

名ピアニスト、マリア・ジョアン・ピレシュがすみだトリフォニーホールを中心に展開する「パルティトゥーラ・プロジェクト」が幕を開けた。このプロジェクト、ピレシュが教鞭をとるエリーザベト王妃音楽院が彼女の信念に共感して立ち上げたものだという。
「コンクールにて他者と競い合う中、若い演奏家は自己利益を求めがちになる。演奏家が奏でる音楽を特別なものへと昇華させ、聴衆を至福の時間へと誘うために他者との共存や分かち合いを目指す」―これがパルティトゥーラ・プロジェクトのモットーだ。音楽に神秘的な力が宿る瞬間、つまりは"Grace"(神の慈しみ、恩寵)を成し得るための様々な工夫が込められている。 世代の異なる演奏家が互いの演奏を聴き合い、好影響を及ぼしあうというのが大きな特徴だろう。

前半に2つの協奏曲を奏でたのはベルギー出身のジュリアン・リベール、フランス出身のナタナエル・グーアンという若手二人。両者とも1980年代後半の生まれであり、エリーザベト王妃音楽院にてピレシュに師事している。
どちらも強烈な個性を持つピアニストではないが、 若々しい息吹を感じさせる演奏だった。特に弱音の繊細な扱い、フレージングの作り方には師であるピレシュの好影響を感じさせた。個人的な好みで言えば1番を弾いたリベールが思い切りがよく、好み。(曲の個性も多分にあるとは思うが)デュメイが指揮する新日本フィルは、バロック楽器こそ使用せずともかなり古典派寄りのベートーヴェン。特に規模が小さくなる第2番ではその色合いが強まった。ヴァイオリン群のヴィブラートは最小限の使用、管楽器は歯切れがよく縁取りがはっきりした演奏だった。小気味よさはかなりのもので、初期作品にはぴったり。

後半の第3番、いよいよ2人の師たるピレシュの登場だ。 オーケストラは前半より陰翳を深め、ほの暗いベートーヴェンの音色が聴こえて来る。ハ短調という調性、曲の性格によるところもあるが、かなり骨太なバックを展開した。このあたりのデュメイの采配は実に芸が細かく、名ヴァイオリニストであることは周知だが指揮者としても芯がある人だと思わせられる。弦楽器を中心に、新日本フィルが的確に応えていたのも良かった。
そしてピレシュのソロ―予想通りというか、予想を遥かに上回る素晴らしさ。声高に主張するような演奏では決してないが、一音ごとの説得力、零れ落ちるような風情がほんとうに沁みる。第1楽章のカデンツァでは年齢に似合わぬ(失礼!)強靭なタッチ、揺るがせにしない構築をも披露したけれども、第2楽章のラルゴの魅力には抗いがたい。これを聴くためにやってきたのだ、という感じ。

残念ながら客入りは芳しくなかったが、喝采は熱い。ピレシュは幾度もステージに呼び戻され答礼を受けた。何度目のカーテンコールかで彼女は前半を弾いた二人を引き連れて登場し、なんと六手による演奏を聴かせてくれた。(もともと六手のために書かれた作品がラフマニノフにあるとは知らなかった)「パルティトゥーラ・プロジェクト」の趣旨に相応しい、世代を超えた音楽家の心的交流を聴衆にもおすそ分けしてくれた形となり、何とも温かな余韻を胸に帰途に着いた。 

2015/10/26
プリモ芸術工房3周年 プレミアムステージ2
第25回プリモコンサート
【山本裕康・諸田由里子 ベートーヴェンチェロ作品全曲演奏会】 第2日
@プリモ芸術工房

ベートーヴェン:ピアノとチェロのためのソナタ第4番
ベートーヴェン:ピアノとチェロのためのソナタ第5番

ベートーヴェン:モーツァルト「魔笛」の「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲
ベートーヴェン:ピアノとチェロのためのソナタ第3番
~アンコール~
ベートーヴェン:ピアノとチェロのためのソナタ第5番より 第3楽章

チェロ:山本裕康
ピアノ:諸田由里子

山本裕康さんと諸田由里子さんによる、ベートーヴェンのチェロ作品全曲演奏会の第2日を聴いた。両日とも直前まで予定が入ってしまっており、残念ながらパスかなぁと思っていたのだが・・・幸運にも直前で夜の予定が空いて聴くことができた。プリモ芸術工房は50人強ほどの小規模なサロンで、完売との報せがあったので滑り込めたのはただただ幸運。(裕康さん、ありがとうございました)

密やかな音の語らいは第4番の雄大なハ長調で幕を開ける。2楽章構成で15分ほどの演奏時間だが、そう感じさせない規模の大きさを持つ曲だ。テンポ指示の変化も頻繁で、全編聴きどころという感じ。
続いての第5番、個人的には当夜もっとも感銘を受けたのはこの曲だった。ベートーヴェンがチェロという楽器において最後に辿り着いた境地であり、かつこの後に続く弦楽四重奏曲の傑作群を予見させる。冒頭の決然としたAllegro con brioは交響曲の第3番や第5番の冒頭楽章でも用いられた作曲家得意の始動だが、そのエネルギー感たるや。第2楽章では一転、緊張と抒情の間を行き来するような独特の音楽となる。用いられている音符の数は最小限、簡素なのだが、内部に凝縮していくような空気感を漂わせていた。作曲家の凄さ、お二人の演奏者の凄さ、どちらもだろう。第3楽章は伝統に則ったフーガ、これはもう神業というか―こんな音楽を作ってしまうベートーヴェンも、それを高い集中力で音化していく裕康さんと由里子さんも恐ろしい。一瞬たりとも弛緩なく、只管高みへと駆け上がる高潔な音楽だ。チェロとピアノの右手、左手がそれぞれ濃密な対話を繰り返していく。

前半でお腹一杯だったが、後半も当然充実。2種ある魔笛変奏曲のうち、当夜演奏されたのは後年の作曲である7つの変奏曲。第1幕フィナーレを目前にパミーナとパパゲーナがしっとりと歌う二重唱"Bei Männern, welche Liebe fühlen(恋を知る男たちは)"の主題による作品だ。奔放な展開のうちに、聴いていてあまりの美しさに涙が零れてしまうような名旋律をサラりと忍ばせるのがモーツァルトの心憎さ(おそらく作曲家自身も気づいていないのではないか?)だが、この旋律を自由に変奏したベートーヴェンも素晴らしい。流行の旋律に関連した作品を作ることは当時の常套手段だと思うが、その域を超えた完成度に聴きほれる。ピアノが担う役割も大きい。
そして最後に演奏された「第3番」。この名作については敢えてあまり触れないが、裕康さんの思い入れを強く感じる素晴らしい演奏だった。第1楽章で連続して出現するピッツィカートにも万感の思いが込められる。充実の一夜を締め括ったのは、うれしいことに最も感銘を受けた第5番の終楽章だった。これほど完成度が高い音楽作品も稀だと認識したが、裕康さんと由里子さんは疲れを感じさせず更に燃焼度の高い演奏を聴かせてくれた。一回目の演奏でも涙腺が緩んだが、ここにきてやはり熱いものが頬を伝う。

最後に。演奏の合間には裕康さんによるトークが挟まれたが、そのお言葉はどれも印象的だった。一曲目の第4番の後に「ベートーヴェンは生涯に渡ってピアノとチェロのためのソナタを書いてくれたので、彼のチェロ作品を聴けば生涯を追うことができる」と仰ったが、この視点は恥ずかしながら持っていなかった。成程、たとえばピアノ協奏曲などは中期で途絶えてしまっているのだ。また、チェリストにとってのベートーヴェンとはほぼ「第3番」であるが、全作品を演奏することで素晴らしいチェロ作品群を知ってもらいたい、とも仰っていた。
ちなみに、トークの途中で『第5番って・・・わかります?』と仰って最前列の自分の方を見られた気がするのだが、気のせいだろうか?名チェリスト・裕康さんに「分かってる?」なんて言われたら、自分は固まるしかありません(笑)
伸びやかにチェロが響き、古き良きスタインウェイの名器との対話を聴くことができるプリモ芸術工房での一夜、素晴らしかった。最近、いっそう室内楽が沁みるようになってきた。

2015/10/26
Hakuju ベーゼンドルファー・サロンコンサート・シリーズ
ランチタイム・コンサート 第6回 長崎麻里香
@Hakuju Hall 1Fサロン

ドビュッシー:前奏曲集第1集より
第1番"デルフィの舞姫たち"
第5番"アナカプリの丘"
第8番"亜麻色の髪の乙女"
モーツァルト:きらきら星変奏曲
プーランク:15の即興曲より 第15番"エディット・ピアフをたたえて"
ラヴェル:組曲「クープランの墓」
~アンコール~
ドビュッシー:ベルガマスク組曲より 月の光

ピアノ:長崎麻里香

1時間の短いコンサートだったけれども、コンパクトにまとまった良プログラム。
至近距離で聴くベーゼンドルファーの濃厚な音色はドビュッシー「前奏曲集」で目覚ましい効果を生んで、ペダルの余韻の芳しさは例えようもないほど魅力的だ。
続く「きらきら星変奏曲」は屈託なく流麗な演奏。その後のプーランク、ラヴェルの流れも心地よく、とくに「クープランの墓」では軽やかな打鍵から終曲トッカータの激しさまで、幅広い響きを味わった。ラヴェル特有の和音の魅力には抗いがたい。
拍手に応え、長崎さんが「お昼ですけど」と笑いを誘って弾き始めたのはやはり「月の光」。しっとりと沈み込むような響きは、本プロ中の「亜麻色の...」と同じく心を落ち着けてくれる。

長崎さん、とても上品な個性を持った素敵なピアニストだと思った。人の往来が回避できないサロンコンサートで聴かせて頂くのが勿体無いくらいだ。ベーゼンドルファーと長崎さんの向こう側のガラスに、お昼休憩でタバコを吹かすサラリーマンが映るのはなんとも・・・(笑)こちらでさえ気になるのに、ちっとも動じない長崎さんはプロだなぁと思ってしまったが。

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2015/10/23
NHK交響楽団 第1819回定期公演 Cプログラム
@NHKホール

トゥール:アディトゥス
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

ヴァイオリン:五嶋みどり
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:伊藤亮太郎
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ


パーヴォ・ヤルヴィ×N響の就任披露シリーズ、第4弾(NHK音楽祭含め)は20世紀音楽のプログラム。考えてみれば、N響でひと月丸々定期を振るというのは相当のヴォリュームだ。3プロ×2回でまず6回、そして特別演奏会を含めれば二桁に達するのではないか?一回ずつの本番でオケと指揮者の距離が縮まっていくことを考えれば、月初と月末では大きくこのコンビも変貌したのだろう。

一曲目に取り上げられた「アディトゥス」、作曲者のトゥールはかつてロック・バンド"In Spe"を率いエストニア(パーヴォの母国だ)で人気を博し、グループを離れた後本格的に作曲家としての活動を始めたそうだ。時期的にペレストロイカと重なり、西側へ紹介されたのも彼の作曲活動を後押ししたとか。
パーヴォはこの母国の人気作曲家の品々を盛んに演奏しており、2005年N響2回目の客演時にもやはり演奏会冒頭に取り上げている。テューブラーベルと金管の下降音型―「トゥーランガリラ交響曲」の愛の敷衍にそっくりな―が華やかに響き、壮大な音の渦が広がっていくこの作品、なるほど繰り返し演奏するのも分かる充実の一品だった。編成はかなり大きいが、序曲的な要素が感じられるのに加え、オーケストラのエンジン始動を促す効果もあると感じた。

続いてのショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」、五嶋みどりの久々のN響登場が呼び物だった。パーヴォのショスタコーヴィチも2月の5番(そういえば、これも以前客演時に振っている)が素晴らしかっただけに期待が高まる。
五嶋みどりはこの陰鬱で深い内容を持つ作品において持ち前の尋常ならざる精神力を見せつけ、第1楽章・第3楽章―とくに後者―では巨大なNHKホールが水を打ったように静まり返っていた。自分はというと、禊を済ませたかのようなオーラに圧倒される一方、昨年のサントリーホールにおける一連のシリーズでも感じた技巧・音量の低下を感じずにはいられなかった。吐露したい感情はもう爆発しそうな位だけれども、その表現に必要なフィジカルが限界に近いのではないだろうか。靴音高くパッサカリアを弾くみどりさんは本当に素晴らしいけれども・・・。
パーヴォ/N響は、伴奏の域を超えた集中力を要するこの難曲でベストな相性を発揮していた。特にベストメンバーが揃った管楽器群の痛烈なアイロニーは客席までしっかり届き、偶数楽章での交錯するリズム処理も目を見張るほどに鮮やか。終楽章の追い込みなど、音盤で聴くサロネン/バイエルン放送響に匹敵する見事さではなかったか!

大喝采に包まれたショスタコーヴィチの後は、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」。こちらも、既に名コンビとなりつつある指揮者とオケの呼吸が遺憾なく発揮された演奏となった。(個人的には、当夜のベストは協奏曲でなくこちらを採りたい)
「20世紀における巨大なコンチェルト・グロッソ」 という楽曲の性質を的確に抉り出したパーヴォの指揮は、即興的なニュアンス変化も含め微に入り細を穿つ。常と化したCb下手・対向配置はこの曲でも敢行されていたが、見事な有機性を示したN響も素晴らしい。特に1stVnとVaの攻め具合は以前と同じオケとは思えないほどだ。CbとVcは元々見事だが、後は2ndVnがやや大人しすぎる印象を持った。弦5部の充実は、バルトークに相応しい土の香り漂う、汚さギリギリの音色の表出という結果に繋がっていたことを特筆しておきたい。第4楽章をはじめとする管楽器群のソロもそれぞれ見事だった。作品の性格上、暗めのアプローチが採られることの多い「オケコン」だが、部分的に「青ひげ」「弦チェレ」を思わせる暗さを出しつつも、総じてパーヴォが楽観的な解釈を行っていたのは興味深い。ショスタコーヴィチが歴史的解釈の拘束から脱しつつあるように、バルトークも純音楽的なアプローチが増えていくのだろうか。

ひと月の間パーヴォ×N響の就任披露シリーズを可能な限り聴いてきたが、パーヴォの即興的な変化にN響が柔軟に反応する場面が多く見られた。N響にとって目覚しい変化であり、これを短期間のうちに実現させるこの指揮者の手腕もやはり凄いのだろう。これからの充実した共同作業に向け、まずは船出を祝いたい思いだ。

2015/10/22
サントリーホール スペシャルステージ2015 チョン・ミョンフン
~日韓国交正常化50周年記念~
ピアニスト チョン・ミョンフンの室内楽
@サントリーホール ブルーローズ

ブラームス:4つの小品(※終曲のラプソディをシューマン「アラベスク」に変更)
モーツァルト: ピアノ四重奏曲第1番(チョン、成田、ファン、堤)

ブラームス: ピアノ三重奏曲第1番(チョン、ルセヴ、堤)

ピアノ:チョン・ミョンフン
ヴァイオリン:スヴェトリン・ルセヴ、成田達輝
ヴィオラ:ファン・ホンウェイ
チェロ:堤剛

サントリーホールのチョンさんシリーズはこれが千秋楽。前日のシニア向けコンサートとマスタークラス以外は全部聴いたことになるが、それぞれ彼の違った顔が見られた有意義なシリーズだったと思う。この日もまた表情が異なった。

チョンさんは演奏前に通訳の女性を伴い登場、前日に急遽決まった曲目変更について自ら説明した。
大意は次のようなこと。チョンさんはここ数年首と肩に痛みを抱えているが、それが最近では左手にも降りてきているという。ブラームスのピアノ五重奏曲は左手をかなり重く響かせる必要があるので、比較的軽めの演目に変更した。だが、ブラームスとモーツァルトの対比を味わってもらえるプログラムに結果としてはなったのではないか。(betterと仰っていた)
彼がここ一年近く痛みを抱えているのは一聴衆としての目からも明らかだ。2月に東フィルに客演してマーラー「悲劇的」を振った時は特にひどかったようで、左手を殆ど動かさず苦渋の表情で振り通していた。前々日までのオーケストラ指揮でも、楽章間に肩を回したり、やはりあまり左手を使わなかったりと自らの不調と闘っていたのだ。

だが、演奏そのものは素晴らしく充実していて、不調を殆ど感じさせなかった。前半一曲目のブラームス「4つの小品」、作曲家最晩年の実に美しい傑作だが、 ピアノの前でしばらく天を仰いだ後弾き始めたチョンさんはどこまでも自然体、零れ落ちるような抒情美を誇張なく響かせた。終曲のラプソディは、やはり左手の理由によりシューマンのアラベスクに変更された。

続いてのモーツァルトのピアノ四重奏曲第1番、最も有名なクァルテット作品の一つだ。チョンさんは相変わらずリラックスした打鍵で、それが作品の表情にとても合う。ブラームスで魅せた自然な陰影は薄くなり、力みのない表情がいかにもモーツァルトらしい。彼のピアノは不思議で、力みなく一音一音置いているだけなのにホール全体によく浸透していく。
ピアノの自然体に比してヴァイオリン、チェロはやや力が入っていたように思える。ヴィオラのホンウェイはソウル・フィルでいつも一緒に弾いているのでチョンさんの語法を分かっていたように思うが、成田さんと堤さんのスタイルはこの曲では少なくとも好きではなかった。

休憩後のブラームスのピアノ・トリオ、五重奏曲からの変更だ。変更前よりは確かに若干軽めだが、それでもピアノが担う役割は大きく、冒頭から雄大な旋律が流れ出しヴァイオリン、チェロに波及していく。チョンさんは演奏会冒頭のブラームス・スタイルに戻り、滔々と音楽を紡いでいく。堤さんのチェロも前半より曲との適性があったように思えた。だがチョンさんと並び素晴らしかったのはヴァイオリンのルセヴだ。ソウル・フィル公演でも鋭いリードが印象的だった彼は、高弦における速いボウイングから生まれる凛々しさが特にいい。スケルツォ楽章でチェロ・ピアノを支える輝かしいトレモロも理想的に響き、交響曲を超えるかという内面的な燃焼が過不足なく描かれる。これぞブラームスだ!

やはり楽章間で体の調子を整えつつも全曲を破綻なく弾き終えたチョンさん、熱烈な喝采を浴びていた。左手も充分に力強くゴーンと響き、彼がピアニストとしてもまだまだ第一線にあることを感じさせた。(終演後、楽屋でご機嫌のマエストロは"No practice!"と豪快に笑っていたが、ジョークだったかしらん?)
来年の東フィル客演でのモーツァルト弾き振り、実に楽しみだ。

2015/10/19
サントリーホール スペシャルステージ2015 チョン・ミョンフン
~日韓国交正常化50周年記念~
オーケストラ公演II 「チョン・ミョンフン&東京フィル」
@サントリーホール

ヴェルディ:歌劇「椿姫」より
第1幕への前奏曲
ヴィオレッタのアリア「ああ、そはかの人か~花から花へ」(第1幕)
ジェルモンのアリア「プロヴァンスの陸と海」(第2幕)
ヴィオレッタとジェルモンの二重唱「天使のように清らかな娘」(第2幕)
~アンコール~
モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」より 二重唱「お手をどうぞ」

マーラー:交響曲第1番「巨人」

ソプラノ:天羽明惠
バリトン:甲斐栄次郎
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:三浦章宏
指揮:チョン・ミョンフン 

チョン・ミョンフンスペシャルステージ第2夜、今回は日本での盟友(N響は?という声がありそうだが、タイトル的に考えて)東フィルが登場、ヴェルディとマーラーというマエストロ・チョンのレパートリーの核となる曲目が披露された。

前半の「椿姫」抜粋は見た目にも華やか。ヴィオレッタとジェルモンを演じる天羽さんと甲斐さんが代わる代わる登場し、アリアを披露した。チョンさんはポケットスコアを台上に置きつつ殆ど頭に入っている様子、脱力した指揮ぶりでオペラに長けた東フィルをしなやかにリードした。東フィルは最初の前奏曲から成功を予感させる清澄な悲しみに満ちた弦の響きで出色。チンバッソなど金管楽器もイタリア仕様だが、チョンさんの自在な煽りによく付けて歌手陣を盛り上げた。前半終了後にはアンコールで「ドン・ジョヴァンニ」の有名な二重唱。12-12-10-8-6と比較的小編成だったオーケストラの響きがここでもピッタリで、柔らかに前半の最後を飾った。

後半の「巨人」はやはり16-16-14-12-10の原則18型。この編成でやろうとすると場合によっては低弦がダブついたりするが、この日の東フィルは素晴らしい集中力で全曲を駆け抜けた。前日のソウル・フィルに触発されたのだろうか、全セクションが攻めの姿勢で臨んでいたのは本当に素晴らしい。
フラジオレットの冒頭では若干オクターヴ下の音が聴こえたり万全ではなかったが、その後の緊張感は持続し、木管による4度のカッコウ動機も生き生き。大詰めのホルン群咆哮に向けての集中力の高め方もチョンさんならでは、低弦のオスティナート的なリズムも真に迫っていた。(そういえば、繰り返しなしの珍しい演奏)
第2楽章冒頭の弦楽器もゴリゴリと生々しく、チョンさんが即興的に施すアクセントへの柔軟な追随も慣れたものだ。前楽章に引き続きホルンが1st、トゥッティともに国内オケ最高レヴェルの輝きを放っていた。
葬送行進曲では冒頭のコントラバス・ソロが思いの外ヨレヨレ、この曲に限っては趣があって許せるかもしれない。各楽器に受け継がれていく葬送のメロディに続き、クレズマー音楽ふうの泣き笑いも表情豊かに奏でられる。ここの対比は常識的だったが、「さすらう若人の歌」終曲のメロディが弦に現れる箇所ではチョンさんのカンタービレを東フィルがよく感じ、温かな響きがホールに満ちる。終盤の弦のピッツィカートまで厳粛さが保たれ、終楽章へ雪崩れ込む。
シンバルの猛烈な一打に続く第4楽章は、「嵐のように」という元標題を意識させる激情的な表現が目立った。グイとテンポを落として音圧と濃度を高め、再び徐々にテンポを上げていくチョンさん独特のアゴーギクが多くの箇所で見事に決まる。弦トップの献身度は凄いものがある。金管群は最後までバテず輝かしい音色を披露、槌を打ち込むティンパニ(特に第2の女性!)が素晴らしい。最後に訪れる第2主題の回帰もやはり息の長い呼吸で奏され、チョンさんは弦を激しく煽っていた。その後の大団円も理想的、最後は自然な感興によりアッチェレランドを加えて熱狂的に終えた。

東フィル、あっぱれ!18型でこれだけ引き締まったマーラー「巨人」、なかなか聴けるものではないだろう。乱れが無かったとは言わないが、リスクテイキングの姿勢が強く感じられた見事な演奏だった。チョンさんは昨日に引き続きオケを引き連れてのソロ・カーテンコール。

2015/10/19
サントリーホール スペシャルステージ2015 チョン・ミョンフン
~日韓国交正常化50周年記念~
オーケストラ公演Ⅰ「チョン・ミョンフン&ソウル・フィル」
@サントリーホール

ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
ブラームス:交響曲第4番
~アンコール~
ブラームス:ハンガリー舞曲第1番

ヴァイオリン:スヴェトリン・ルセヴ
チェロ:ソン・ヨンフン
管弦楽:ソウル・フィルハーモニー管弦楽団
コンサートマスター:スヴェトリン・ルセヴ
指揮:チョン・ミョンフン

4日間にわたるチョン・ミョンフンのスペシャルステージ、開幕。幕開けは韓国の手兵ソウル・フィルを振ってのオーケストラコンサートだ。ソウル・フィルはどうやらこれだけのための来日だそうだが、何とも勿体ない話。(まあ、距離的には遠くないのだが・・・)

一曲目のドッペルコンツェルトは同オケ首席客演コンマスのルセヴ、韓国の若手ソン・ヨンフンの共演。ルセヴはフランス放送フィルのコンマスを務めており、おそらくはチョンさんとの縁でソウルと兼任しているのだろう。冒頭のトゥッティから14-14-12-10-8という変則16型の大オケは分厚く鳴り、ソリストの2人を包み込むような響き。
あまり個人的にこの曲は佳さが分からないのだが、久々に実演で聴いて晦渋ではあるが味わい深い曲だと思えた。ソロはルセヴが鋭くリードし、ヨンフンは若干気遅れが出ていたように思う。巧いのは間違いないのだが、ソリストとしての余裕に欠けるというか―。チョンさんはこの曲から暗譜、余裕のタクト捌きで全曲をそつなく構築していった。

二曲目のブラームス4番、これは冒頭の旋律からふわりとした呼吸感が絶品、この絶妙なタイミングはオペラ畑の指揮者だな、と強く印象付ける。オーケストラは16-16-14-12-10というチョンさんお得意の変則18型の大編成だが、ゴリゴリと弾くのではなく各声部の厚みが3割増しになったかのようだ。強いて言えば1stヴァイオリンと2ndヴァイオリンが同数ということからか、あまり区別する意味が感じられなかった。(=2ndヴァイオリンが「第2ファーストヴァイオリン」になっていたということ)これは各セクションの押しの強さ故なのだが、殊ブラームスにおいてはこのあたりの陰影が更についていればよかったと思う。全体的に何の危なげもなく曲は進み、チョンさんのオペラティックなアゴーギクにも余裕で分厚く追随、長年の信頼関係の賜物であろう。ホルン群をはじめ金管や打楽器も実に巧く、欧米の名手をトップに据えているとはいえオーケストラの水準の高さには目を見張るものがある。先述したように曲の表情に若干金太郎飴的なものを感じたが、高水準なブラームス演奏だったと思う。

―しかし個人的には、沸きに沸いたアンコールのハンガリー舞曲第1番を含め違和感が最後まで拭えない演奏会だった。繰り返すが水準はほんとうに高く、日本のオケはだいぶ上を行かれていると思ったのだ。それでも彼らの演奏に心から感動できなかった理由がある。それは、彼らの演奏における「熾烈な競争意識」の存在だ。
韓国社会は競争意識が高く、受験戦争なども日本のそれより遥かに過酷だときく。チョンさんは在任中にかなりの楽員を入れ替えたと聞くが、それも韓国の社会構造に合致していたのだろう。その結果、欧米で経験を積んだ若手を中心とするスーパー・オケがここに完成したのである。楽員の平均年齢はとても若く、女性が多い。彼女たちはおそらく競争を勝ち抜いてきた自負と、自分が出し抜かれることへの怖れを同時に持っているはずだ。その殺伐とした競争意識が、当夜サントリーホールに響いたブラームスには濃厚に漂っていた。この意識は、マーラーやショスタコーヴィチには好作用したかもしれない。だが、ブラームスの安寧には―。

この煮え切らない感情は、翌日の東フィル公演で綺麗に霧散することになった。

2015/10/18
日本フィルハーモニー交響楽団 第367回名曲コンサート
@サントリーホール

ブラームス:大学祝典序曲
リスト:ピアノ協奏曲第1番
ボロディン:交響曲第2番
~アンコール~
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガイーヌ」より レズギンカ

ピアノ:小川典子
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:扇谷泰朋
指揮:アレクサンドル・ラザレフ

日フィルと固い絆で結ばれた名匠―いや、名将ラザレフの登場。ショスタコーヴィチの9番をメインとする定期は聴けないため、一足早く行われた名曲コンサートを聴いた。これがもう、凄いのだ。「名曲コンサート」というタイトルから連想しがちなルーティン感は皆無、新鮮な驚きとたのしみに満ちていた。このシリーズ、なぜかあまり知名度が高くないようなので日フィルはもっと宣伝したほうがよいと思う。

ラザレフ将軍はいつものロシアン燕尾服ではなく黒シャツ姿で登場、16型のオケが待つステージに「ドシン!」と轟音を立てて駆け上がり、答礼もそこそこにブラームスを振り始める。この一挙手一投足から往年の大指揮者感が漂っていると感じるのは、自分だけではないだろう(笑)
この「大学祝典序曲」がのっけからラザレフが指揮台を踏み鳴らすほどの爆演で、ブラームスに珍しい鳴り物をこれでもかと叩かせて盛大に祝典気分を盛り上げる。ショスタコーヴィチかチャイコフスキーの祝典曲もかくや、というド派手さだが、ラザレフの指揮自体はファゴットをはじめとする木管群への適切な指示をはじめ、節度を保った正統的なもの。この真摯さとエネルギーの解放のバランスがラザレフの魅力を生んでいるのだろうか。

いつも通り終結間際でメガネを外して一曲目からドヤ顔フィニッシュを決めたラザレフ、次のリストでは14型に減らすもオケの分厚い鳴りは変わらず。ブラームス同様スコアは見ているもののオケへの指示は体が先に動いているという感じで抜け目なく鋭い。小川さんのソロは硬質なタッチで安定感があった。新鮮な魅力はそれほどでもなかったが、リストの協奏曲に相応しい華麗さは表出されていたと思う。ラザレフは全曲振り終えるや否や、どの聴衆よりも早く小川さんへ拍手を始めてしまった(笑)これではサントリーホールの「余韻を保って・・・」というアナウンスも面目なしだが、豪快なマエストロならではの珍事と言うべきだろう。

メインはやや短めだが、豪壮な迫力に満ちたボロディン「2番」とくれば文句はない。実際、この曲はこれほどまでに凄まじい力を秘めていたのかと驚嘆するような目覚ましい演奏だった。
再び16型に戻ったオケはラザレフの一振りでロシアの大地を彷彿とさせる轟音を轟かせ、その後のアクセントも実に土俗的で愉しい。ところが更に驚きだったのは、第1主題にティンパニが加わる箇所で急減速したこと。更に外連味が効いて痛快の一言だ。この急減速はこの後も何度か出現したが、音楽のフォルムごと移行しているので違和感や不適切な感じはしない。第2楽章は細かく刻むホルンに乗って弦のピッツィカートとフルートの明滅が美しいが、リズム的には少々難しい。ラザレフの迷いのない指示により後拍の処理もばっちりだった。第3楽章ではホルンのソロが快調、のびやかな旋律に入ると「どうだい?いい曲だろう?」と言わんばかりに体を半分客席に向けて楽しそうに振る将軍がお茶目。コントラバスの持続音から切れ目なく突入するフィナーレは打楽器群の猛打が続き、弦管も負けずに鳴らすのでもう音響の洪水。将軍はセカンドヴァイオリンに気合の声を上げながら渾身の指揮、やはり終結前にはメガネを外して最後の一音と同時に客席を振り返った。煽られた聴衆はワッと沸いて後は楽しいカーテンコール。豪放なラザレフ将軍は意気揚々とステージを練り歩き、各パート奏者を手厚く労う。

いやはや、これが定期の客席だったら更に興奮状態だったのではないか。客入りは比較的上々だったが、これこそもっと満員の客席であってほしかった。ラザレフ将軍は来月来日するフェドセーエフの先手を打ったのか、客席の拍手が収まらぬうちにスネアドラムに指示を出して「レズギンカ」を開始、これもロシアオケ顔負けの地鳴りを伴う演奏だった。いい演奏会だったが、このアンコールのおかげで更に印象深いものになったのは間違いない。

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