たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

November 2015

2015/11/30
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 特別演奏会
オーケストラ名曲への招待
@ミューザ川崎シンフォニーホール

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
コルンゴルト:シンフォニエッタ
~アンコール~
J. シュトラウス2世:ポルカ「雷鳴と稲妻」

ピアノ:ゲルハルト・オピッツ
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
コンサートマスター:
﨑谷直人
指揮:サッシャ・ゲッツェル

1月の「英雄」「4つの最後の歌」「ブルックナー9番」、4月は紀尾井シンフォニエッタとの「グレイト」でウィーンの風を運んできたマエストロ・ゲッツェル。特に1月の定期は年間ベストに入ろうという素晴らしさで、これほど耽美的な音楽が日本のオケで聴けるのかと思ったほどだ。

今回もやはりウィーンの色を強く感じさせるプログラム。
前半のブラームス「ピアノ協奏曲第2番」、ソロを弾いたのはドイツの名匠オピッツ。コリン・デイヴィス/バイエルン放送響とブラームスの名録音も残す彼だが、今回の演奏もやはり素晴らしかった。派手なアピールこそないものの高度な技巧を要求するこの難曲において、あくまで自然に振る舞っていた。あるべきものが全てある、足し引きしない音楽の尊さは何物にも代えがたい。ドイツの質実剛健なピアニズムに、より包容力が加わった感じ。ゲッツェル/神奈フィルも適度な重量感で推進力をもって進め、オピッツと一緒に呼吸していた。まさに三位一体。第3楽章のソロ・チェロを弾いた山本裕康さん、弓圧の強さというより弓毛をぴったりと弦に付けたまま濃密に弾ききる。フレーズは力強く途切れず、思わず落涙。これまで聴いたブラームスのピアノ協奏曲第2番のソロの中では文句なしのベスト。これほど意志的なソロだったとは思わなかった。

休憩後のコルンゴルト「シンフォニエッタ」、実に作曲家15歳の時の作品。アメリカに転出して生み出す映画音楽の傑作群も予告しながら、ウィーンの甘美を随所で聴かせてしまう佳作だと思った。コルンゴルトは既に職業作曲家としてポジションを固めつつあったようだが、15歳でこんなものを書いてしまうとはまさに神童である。家庭環境にも恵まれた。
Fließendと指定があるように、音楽は流麗に流れ出す。シンフォニエッタ=小交響曲とあるが、音楽的には4楽章構成の堂々たる交響曲だろう。編成も大きい。バルトーク・ピッツィカートも用いた豪奢な管弦楽の書法にはマーラー、R. シュトラウスといった先達の影響も感じさせる。とにかく、消化度が凄いのだ。第2楽章の勇壮な主部と甘いトリオの対比も美しいし、とろけるような第3楽章ではイングリッシュ・ホルンがソロで活躍する。やや不安気味に始まる終楽章も、リズミカルに音楽が動き出せばもう愉悦が勝る。時折淀むような回想をはさみながら、音楽は徐々に小気味良さを増していく。各セクションが総動員され、循環するテーマを高らかに奏して華麗なクライマックスを築くのだ。
ゲッツェルはこの作品をすっかり自家薬籠のものとしており、迷いのない指揮で神奈フィルから豊麗なサウンドを引き出した。指揮者が変わればこれほどオーケストラが変わるのか、という驚きが再び訪れた瞬間だった。彼とコルンゴルトの相性は比類ないものとなっている。是非、次は大傑作「交響曲」を!

アンコールには新年を早くも予見するようなシュトラウス2世のポルカ。こちらがまた「雷マシマシ」の大胆不敵な演奏だった。ゲッツェル×神奈フィルによるニューイヤー・コンサートも待たれる。 

2015/11/29
オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団
生誕150年記念 シベリウス交響曲サイクル[3]
@東京オペラシティ・コンサートホール

シベリウス:交響曲第5番
シベリウス:交響曲第6番
シベリウス:交響曲第7番
~アンコール~
シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ
シベリウス:ある情景のための音楽
シベリウス:交響詩「フィンランディア」

管弦楽:ラハティ交響楽団
指揮:オッコ・カム

カム×ラハティ響のシベリウス・サイクル最終日。今年3度も聴くことになる567を並べた演奏会の2回目となった。

カムは答礼して椅子に腰掛けるなりすぐに冒頭を振り出し、霧がかかった情景が現れる。有名な鐘動機を奏するホルンのバランスは4人でばらばら、跳躍があるトランペット・ソロもやや危なかったりと、ラハティ響は技術的には在京オケの後塵を排している。しかし何度も書いたように、シベリウスと同じ言語を解する強みは持っている。それにアンサンブル精度は徐々に向上し、第3楽章は入念に作り込みで弦の細かな走句の積み重ねもよく聴こえてきた。最後の終結も素晴らしい。

第6番では冒頭からこれまた雰囲気満点、清涼感ある弦の音色がオペラシティを包む。カムの飾らない音楽はこの無垢な交響曲に合っており、野趣に富むスケルツォと柔らかな響きの対比がブルックナーのよう。
軽く答礼を挟んで演奏された第7番では、一転して暗めの響きで押す。シベリウスの告別とも言える深遠な抒情詩を一筆書きで描くカムの棒に、オーケストラが一層よく応えた。

三日間の感謝を告げるような聴衆の熱狂に応え、アンコールはやはり3曲。それも名品アンダンテ・フェスティーヴォで始められた。これがまた絶品で、冒頭から素晴らしい弦の厚み、自然な情感が溢れる。尾高さん/札響で聴いた時の内面的な熱さとも異なる、よりストレートな演奏だった。「フィンランディア」はもはやアナウンス無しですぐにスタート、万感の思いが込められた豪快な演奏に客席はスタンディング・オヴェイション。客席ではかつてのラハティ響シェフ・ヴァンスカが温かくカーテンコールを見守っていた。喝采鳴りやまず、やがてカムとオーケストラ・メンバーがステージに呼び戻されてお開きとなった。

三日とも印象が異なる面白いサイクルだった。ザラリとしたローカルな音色、楽しみました。 

2015/11/28
東京交響楽団 第89回東京オペラシティシリーズ
@東京オペラシティ・コンサートホール

フェルドマン:ヴィオラ・イン・マイ・ライフⅡ
バルトーク:弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽
ドヴォルジャーク:交響曲第8番

ヴィオラ:武生直子
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:大谷康子
指揮:ジョナサン・ノット

ノット×東響の主催公演は、今シーズンはこれが最後。このプログラムが来年4月に始まる新シーズンを予告しているのでは、という推察を先日定期演奏会の項で書いた。

一曲目のフェルドマン作品は、極度に凝縮した編成の上にヴィオラが幽玄に舞う音楽。多くの打楽器を含むオーケストラは10人足らずで、ソロを奏でるヴィオラは省かれている。
最初に出てくるのは音楽というより音の連続。それが徐々に呼応して流れを形成していく。ノットはプログラムの対談の中で「とても明るく、かつ青白い光」と語っているが、確かに静謐でこそあれ暗くはない音楽だ。掴みどころがない雰囲気はホールに広がったが、この作品を「演奏会用序曲」的に紹介したノットの知見に感謝したい。何も華々しく会場の温度を上げるだけがイントロダクションではなく、続く作品に相応しい雰囲気をもたらすことも重要な役割だと思うからだ。

続くバルトーク「弦チェレ」はオーケストラが左右2群に分かれ、濃密な対話を全曲で繰り広げる。ほぼ14型の東響の弦は切れ味鋭いアンサンブルを生き物のように蠢かす。ノットの指揮は超辛口、厳しくリズムを締め上げて一寸の隙も見せない。偶数楽章で崩壊寸前でとどまるアンサンブル、奇数楽章の緊張感とテンポ変化封じなど実に見事な指揮だ。疾走する終楽章はカラヤン/ベルリン・フィルを髣髴とさせる怖ろしいハイ・テンポで、狂ったように一体となり加速していく。幕切れもタメを作らず、むしろ雪崩れ込むように終結する。あたかも演奏者一丸となり自我の崩壊を演じるかのように。
この「弦チェレ」第1楽章が始まると、はっと驚かされた。前に演奏されたフェルドマン作品と鮮やかな対比が描かれ、同時にバルトークの進行を予告してもいたと気付いたからだ。純水のように聴き手に浸透するフェルドマン、空恐ろしい緊張を要求するバルトークは類似し、かつ対照的だ。

前半の熱気を引き継いで名曲・ドヴォルジャークの第8番が高らかに演奏された。といってもノットの指揮は、名旋律を流麗に紡ぎワッと聴衆を沸かせる類のものとは全く異なる。土の薫りすら感じる重心の低い低弦をベースに(これがほぼノット/東響の標準装備となってきた!)、ヴァイオリン群の密な対話や対旋律の効果的な抽出で聴かせる。決して力技で押さず、弦楽器の弓圧調整には吟味の跡を確かに感じることができた。オペラシティ・シリーズのリハーサル期間でこの三曲をここまでの水準に仕上げてしまうノットの手腕にも脱帽だが、きっと翌日の新潟定期では更に磨き込まれただろう。トランペット、ホルンといった金管群の充実も手堅く、木管群も素晴らしい音色で歌う。第2楽章の大きなスケール感、嫋々とした旋律美だけに留まらない第3楽章の良さを聴くに、ドヴォルジャークの第8番とはこれほどの聴き応えを持つ曲だったかと再認識した。

ノット監督と東響、次回登壇のオペラシティ・シリーズにおける鮮烈な対比と収束にも大きな期待がかかる。 

2015/11/27
オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団
生誕150年記念 シベリウス交響曲サイクル[2]
@東京オペラシティ・コンサートホール

シベリウス:交響曲第3番
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
~ソリスト・アンコール~
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番「バラード」

シベリウス:交響曲第4番
~アンコール~
シベリウス:悲しきワルツ
シベリウス:組曲「クリスティアン2世」より ミュゼット
シベリウス:鶴のいる風景

ヴァイオリン:ペッテリ・イーヴォネン
管弦楽:ラハティ交響楽団
指揮:オッコ・カム

オッコ・カム×ラハティ響のシベリウス・サイクル第2弾。人気のヴァイオリン協奏曲が入っているとはいえ、一番渋い組み合わせ。客入りは前日より若干減ったかという印象だが、この日だけ聴きに来た猛者もいるらしい。

やはり12型+Vc、Cb一名ずつという形だが、Va奏者が一名減っていた。病欠?
プログラムによると、第3番はカムがもっとも好む作品らしい。冒頭の低弦に始まる音型から他のシベリウス作品とは趣を異にするというのは、僭越ながら自分も同意見だ。この独特の「シベリウスらしくなさ」に惹かれるのだろうか?
カムの指揮は大らかで、野太く旋律を歌っていく。大まかに外型を整えながら、あとは任せた!という感じ。弦楽器は肝っ玉母さん風のコンマス主導で自発性を発揮した。

続くヴァイオリン協奏曲、ここ最近これという演奏に出会っていない名曲だった。今回の演奏はいわゆる「名演」とは違うものの、田舎風のざっくりした味が楽しい。ソロのイーヴォネンは路傍の楽師という雰囲気で、オケにとけ込んで奏でていく。ピッチの怪しさを歌い込みの入念さでカヴァーしたが、アンコールのイザイはかなり冗長だった。
カムとラハティ響側もイーヴォネンの歌い方に理解があるようで、自在な呼吸。木管などには聴き慣れないフレージングもあり、興味深く聴いた。

休憩を挟んでの第4番、一転してオーケストラの響きは険しさを増す。晴明からの深遠へ、そういうプログラムだろうか?重々しい冒頭から浮き上がるチェロの独奏は、フィンランドの明けない夜の憂鬱を連想させる。1楽章の途中で金管に表れる特徴的な動機は「パルジファル」そっくりで、静謐な情景と合わせてヴァーグナーからの影響はあるかもしれない。第4楽章で象徴的に響く鐘はグロッケンを使用。以前聴いた上岡さん/新日フィルはテューブラーベルだったが、二通りあるようだ。

全体的に1日目より生気を増し、カムの指揮も調子を上げていたように感じた。アンコールでは「鶴のいる風景」が絶品だった。有名な「悲しきワルツ」ではパーヴォのような極端な音量変化は要求せず、自然な感興が描かれた。

2015/11/26
オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団
生誕150年記念 シベリウス交響曲サイクル[1]
@東京オペラシティ・コンサートホール

シベリウス:交響曲第1番
シベリウス:交響曲第2番
~アンコール~
シベリウス:組曲「テンペスト」より 第2番第6曲「ミランダ」
シベリウス:行列
シベリウス:劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」より 間奏曲

管弦楽:ラハティ交響楽団
指揮:オッコ・カム

各所で祝祭が続くシベリウス年間、目玉の一つであるオッコ・カムとラハティ交響楽団による全曲演奏会。奇しくも(いや、確信犯?)かつてのシェフであるオスモ・ヴァンスカは読響に長期客演中であり、やはりシベリウスの交響曲を多く指揮していた。つい直前までフィンランド放送交響楽団とハンヌ・リントゥも訪れていた音楽都市・東京らしい過密ぶりだ。クリスマス時期にサンタ、いやセーゲルスタムがひょっこり現れても何の違和感もないだろう(笑)

ほぼ作曲順で取り上げられる今回、第1回は初期の人気作2品が組み合わせられた。 
オーケストラは12型にチェロ、コントラバスが1本ずつ多い形。ラハティは小規模な楽団だと思っていたが、想像以上にこじんまりした編成でやって来たようだ。管楽器は曲ごとにローテーション。

オッコ・カムは70手前だが、風貌は結構老けて見える。長時間立っているのが堪えるのか指揮は椅子に腰かけて行う。その割には入退場は普通にスムーズ。
カラヤン・コンクールのご褒美録音としてベルリン・フィルと演奏したシベリウス2番がいまだに代表盤などと言われてしまうカムだが、彼なりのスタイルで独特の老成具合を見せているようだ。オーケストラの方を振り向いてすぐさま音楽を始め、ややぶきっちょな棒で全曲を導いていく。解釈を詰めて聴かせる!というよりはオーケストラに多くを委ね、剛直な流れを断ち切らないことに重点を置いているようだ。
ラハティ響は腕っこきの集団では決してないが、特有の味わいを有する。ほぼ12型にしては十分すぎる位の弦の厚み、管楽器群の色々な意味で「自由な」プレイには強いローカル色を感じた。ヴァンスカと来日した時のシベリウス・サイクルを聴いた方々は「かつての見る影もない」 と評したが、自分にはその基準がないので何とも言えない。時折金管の強奏が必要以上に突き抜けたり、木管のピッチが気持ち悪かったことは認めるが、全体の印象は決して悪くない。そもそもヴィルトゥオーゾ集団を聴きに来たわけではないので・・・。

冒頭の静謐な夜を思わせるクラリネット独奏に始まった第1番、キズ多めながら最後には雄渾な流れが出現した第2番ともに大いに楽しんだが、アンコール3曲が個人的にとても嬉しかった。ベルグルンドのCDの余白でしか聴いたことがないような曲も含め、作曲家と同じ言語を話す集団の強みがそこにはあった。

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